旅のつれづれ

国内外の旅の記録

長崎 観光 出島 平和公園など

五島列島から長崎に移動した翌日は長崎観光を楽しみました。

 

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夕食後の夜に立ち寄った大浦天主堂。ライトアップされていました。

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朝からまず向かったのは、出島!

長崎といえばですね。

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この中だけで本当に暮らしていたのかしら、と思うくらい思ったより手狭に感じました。

人数もそんなにいなかったのでしょうか。

鎖国中だから、そういう造りにわざとしてたのかもしれませんね。

 

何となく当時の形が分かるように整えられています。

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出島の中に入るには入場料(510円)が必要です。(入りませんでした…)

 

次は平和祈念公園に向かいました。出島から路面電車で一本で行けます。


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初めて来ました。

何とも言えない気持ちになりますが、本当に戦争のない国へと切に願います。

 

記念公園に入る手前に、当時の防空壕がいつか残っています。


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意外と中は広いのだなと思ったり、説明によると奥の方にいた人の被害は少なかったとか書かれていました。

 

公園を一回りしたあとは、原爆資料館に入りました。

無料の現地ガイドボランティアの方に案内してもらいながら、様々な資料を確認しました。

 

よく考えれば当たり前なのですが、原爆投下後の写真など、すべて米軍の資料なんですよね。

それをボランティアの方から聞いて複雑な気持ちになりました。

当時の日本は混乱しててそんな写真残せないので、資料の大半は彼らにとっての"研究"資料が展示されているわけです。

うーむ…  

 

また、当時の証言VTRが、展示の最後の方で自由に観れる箇所があり、捕虜として日本にいた外国人の方の証言も入っていたので何名かのVTRを観ました。

 

捕虜としての彼らの証言で「投下されたことで戦争が終わった」と皆言ってたのが印象的でした。

そして映像には「色々な意見があります」との字幕も。

 

こうした色々な観点からの証言をしっかり遺していることが素晴らしいと思いました。

歴史は一面からでは語れないですからね…

 

 

公園と資料館から歩いてすぐのところには、実際に投下された地点(グラウンドゼロ)があります。


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投下時は、この地は80年くらいは草も生えない地になるだろうと言われてたようです。そうだろうと思います。

でも今は普通の公園です。

 

原爆の放射能も凄まじそうですが、今の原発放射能とどう違うのかも気になりました。

 

 

色々なことを考えながらも、次に向かったのは、浦上天主堂です。

 

グラウンドゼロから歩いて行けます。
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この日はお葬式がされており、中に入れませんでした。

 

天主堂の横には原爆投下時に吹っ飛んだ天主堂の屋根の一部がそのまま保存されています。
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原爆時の遺構として被爆したマリア像などの石像もいくつか置かれています。
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この前に立ち寄ったグラウンドゼロには、この浦上天主堂の遺構が保存されています。

 

最後は、大浦天主堂へ。

路面電車で移動してきました。


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入場料が1000円と高めでしたが。中と隣の博物館にも入って色々観てまわりました。

 

 

朝から夕方までの駆け足長崎一日観光です。

 

長崎の歴史は奥が深く、色々考えつつも、観光としては充実できました。

 

出島→平和祈念公園長崎原爆資料館→グラウンドゼロ→浦上天主堂大浦天主堂